建築インプロヴィゼーション

私の中にある「即興性」が、私の「建築」に浸透するその日まで、ひたすら基礎練を積むブログです。

空間の中に、家を創り出す。

まっさらで、何も無い空き地。夕暮れ時の風が吹き荒ぶ、何も無い空間。君は、こんな空間を目の当りにしたら、何をしたくなるか。

 

…何かを置きたくなるだろう。ウサギのオルゴール、フランスから届いた椅子、海底から引き揚げられた錨。

 

でもそれを置いてみよう。風は相変わらず、吹き荒ぶ。そのうち、それらのものも、風化してしまうだろう。

 

何が必要か。…壁が必要だ。この湿った空気を含んだ、南から吹く風を遮る、壁が何としても必要だ。

 

…壁を、置いた。どうだろう…。

 

倒れてしまった。無残にも…。壁を繋ぎ止める、枠組みが必要だ。縦に柱を、横に梁を渡そう。

 

どうだろう…。ウサギのオルゴールは、風の音に邪魔されること無く、メロディーを奏でている。やった。

 

程なくして、雨が降ってきた。あの生暖かい、夕立というやつだ。金属音が、水気で鈍る。オルゴールが錆びてしまう。

 

屋根を掛けよう。雨もひょうも、雷をも遮る、頑丈な屋根を、被せよう。

 

やった。これでやっと、フランス製の椅子に座って、ゆっくり本を読むことが出来る。やった。

 

…?…地面がぐちゃぐちゃしている。さっきの雨が、私たちの足元を、ぬかるみにしてしまった。…こんなところでは、くつろげない。床を設けよう。錨を置いても、これ以上錆びることのない、床を設けよう。

 

…やった、もう何でも置ける。やったぞ、もう何でも、置けるんだ。

 

 

 

こんな風にして、家は出来上がっていくんですね。中世ヨーロッパの城も、エスキモーの家も、日本の合掌造りの家も、基本的な発想は、同じです。外部から守られた、内部空間を得るために、躯体を頑丈に作り上げる、ということです。

 

家というものは、それこそ太古の昔から存在していたわけですが、結局昔から、人間の欲求というものは、変わっていないのです。昼は外でしっかり働きますが、夜は、雨に濡れずに、風にもさらされずに、ゆっくり休みたいのが、人間なのです。

 

 

 

娘「ママ、どうしてみんな、家に住んでるの?」

 

母「それはね、人は、安心してくつろげる場所が必要なのよ。」

 

 

どんなに体力があり、どんなに活力あふれた人間も、休息は必要です。休息する場所として、人は自分の家を、持つのです。

 

そして、家を飾るのも、人間の正しい欲求です。仕事ではなく、休む場所としての、家。そこを、自分の好きなように飾り付けたい、と思うのは、自然なことです。汚らしい、汚れた家に住むと、人の心は荒んでしまいます。

 

家はいつの時代からか、機能的な面に加えて、装飾的な面が、非常に重視されるようになりました。それは、世界中のどこの国においても、同じです。自分の家が、美しくあって欲しいと願うのは、万人共通の思いなのです。

 

私はこれから、様々な建物について、色々な考察をしていこうと思います。きっと、あんまり面白い文章にならない気がしています。でも、色々と工夫をしてみるつもりです。あまりハイペースでは書けませんが、どうか長い目で見守ってやってください。それでは、また。