どうも、あれだ。
私はどうも、人を疑い深い目で見ることが、多いらしい。
他人に対して、がちがちにバリアを固めている、というかね。
本当の自分が合って、もう一つ、他人と接する用の人格、というのが存在するのである。
何故そんな人格が出来てしまったかというと、本当の自分を出して人と接すると、煙たがられ、馬鹿にされ、暴言を浴びることが、多々あったからである。
私の心は、凍り付いてしまった。なるべく心に傷が付かないように、自分を他人から守る術を、身に付けるようになった。
世の中は、本当に自己中心で出来ていて、自分が不快だと思うものは、とことん切り捨てる、そんな風に成り立っているのだ、と思うようになった。
…ところがどっこい。
捨てたものではない、この世の中は。と思えるようになったのは、つい最近のことである。
煙たがる態度の中にある我慢。馬鹿にする態度の中にある好意。暴言の中にある申し訳の無さ。
そんな微かなものが、私にもようやく少しずつ見えるようになってきたのである。
世の中の表面しか見えていないのは、私の方であった。世の中はもう少し、熱っぽく、優しさに満ちているのである。
寒々とした世界の中で、自分が自分として生きていくために、徒に自分の自分としての精度を高めてきた私であったが、それはあまりにも孤独な、寂しい道であった。
私は、もう少し人に頼ろうと思う。作り上げてしまった、この他人に対する人格は替えることが出来ないけれど、人はその堅苦しい人格だけを見てるわけではないのだ。
もっと、気を緩めよう。